梨木香歩


裏庭
画像クリックでamazonへ理論社版(bk1)
新潮文庫版(bk1)

庭には特別な力が潜んでいるような気がします。 生き物を育んだり安らぎをもたらす事は勿論ですが、外にも中にも属する曖昧さを残した空間であるが故に、 通路であり扉でありひとつの世界としても成り立ち得る場所。
そんな様々な要素を内在している、特別な場所としての働きを持つのがファンタジー作品での“庭”なのだと思います。 この作品の主な舞台として描かれるのもそう云った特別な“庭”です。
丘の麓に建つ現在は使われていない西洋館、バーンズ屋敷の大きな秘密を予感させる書き出しに導かれて始まった物語は、 主人公照美の旅を追いつつ、屋敷に関わる人々の過去をも次第に明かしていきます。ひとつひとつのエピソードが密接に重なり合い、 響き合い、やがてひとつの大きな流れとなった時、物語は素晴らしい結末を迎えるのです。
全篇を通して印象的な場面や台詞には事欠かない作品なのですが、個人的に一番印象に残った言葉はこちらでした。
(理論社版 P246より引用)

「真実が、確実な一つのものでないということは、真実の価値を少しも損ないはしない。 もし、真実がひとつしかないとしたら、この世界が、こんなに変容することもないだろう。 変容するこの世界の中で、わしらはただわしらの仕事をもくもくと続けるだけじゃ。(中略) 変容するこの世界に文句をつけるより、その世界で生きる事をわしらは選ぶよ」

変わり続ける世界の中で生き抜いていく力を与えてくれる、確かな手ごたえを持つ言葉。
梨木さんの作品には心に残る名台詞が数多くあるのですが、これも常に胸にしまっておきたい大切な言葉です。 自分を取り巻く世界が常に変わり続けるものである以上、よりどころになるただひとつの真実と云うものは存在しないのでしょう。 外に求めて見つからないものならば、恐らくそれは自分で育てていかなくてはならないものなのです。 他の誰でもない、自分自身の心の中で。そこで丹精込めて育てられたものだけが、ゆるぎのないしるべに成り得るのだと思います。 読み返す度に自分の“庭”に栄養を与えてくれるこの作品は、私にとってかかがえのないものです。
おいしい水を飲むように味わって戴きたい名作。

(2000→2002/06→2003/07)

●蟹塚縁起
画像クリックでamazonへ 『蟹塚縁起』(bk1)
理論社刊

自覚がないまま前世の無念を抱いていた主人公とうきちが、その恨みと憎しみを手放して昇華させるまでの物語です。

主人公のとうきちが凄く良いんですよ。淡々としていて、卑しいところがなくて。
唯一の財産だった牛を理不尽な理由で名主に取り上げられてしまっても、「困ったことになった」と思いはするものの、 怒りも嘆きもせずに牛無しで一日中黙々と働いたり、あからさまに怪しい(笑)押し掛け嫁に、 微笑んで優しい言葉をかけてやったり。
とどめは命を賭してとうきちに恩を返そうとする蟹達の姿を見て涙を流すシーン。以下は引用。

 とうきちはぼうぜんとして、やがて涙が出てきました。 ……蟹よ 蟹よ あればかしのことをおまえたちはいつまでも恩に思って、そんな難儀に身を投じていてくれたのかい。 そんなことは、しなくていいのだ、しなくていいのだ。 おれはこんな小さいおまえたちから、なにを返してもらおうとも思わないよ。

この件を読んでいて、とうきちの優しさと蟹達の健気さに思わずこっちまで泣けてきちまいましたよ。 ああもう、どうしてそんなに心根が綺麗なのさ、貴方達…。
とうきちと蟹達の因縁は物語の中で明かされるのですが、後半部の重厚な雰囲気はとても絵本とは思えない迫力。 梨木さんの文章の力と木内氏の絵の力が合わさってこそ、この物語は完成し得たんだなぁと納得させられました。
絵本には珍しく全体的に暗い色調の絵が多いのですが、クライマックスに一枚だけ明るめの色調が使われています。 それだけに、その光景が心に焼きついたような鮮やかさを残してくれるのですよ。ラストの一文の無駄の無さにも感動。
読んで得る物の多い絵本だと思います。是非ご一読をば。

ところで、押し掛け嫁の置き土産の鍋の中身を「蟹?」と思った私はやはりやさぐれているのでしょうか(笑)。

(2003/03/07)

●マジョモリ
画像クリックでamazonへ 『マジョモリ』(bk1)
理論社刊

ある朝、つばきのもとに届いた一通の手紙。それは森の奥でのお茶会の招待状でした。招待してくれたハナさん、後からやって来たふたばちゃんと一緒にマジョモリでの不思議なお茶会が始まります…。

この時期に読むのにぴったりのお話ですね。若葉の色、花の色、一斉に届けられる鮮やかな花の便り。そして特別な場所でひそやかに開かれる素敵なお茶会。ふくふくと幸せな気持ちになりながら読んでおりましたよ。
やはり梨木さんの描かれる色はとても美しいなぁ。早川さんの描く色もこの上なく美しくて、イメージぴったりですし。寒色系をこれだけ柔らかく優しい色合いにして使えるのは、この方の稀有な才能だと思います。

好きな箇所はたくさんあって、それこそ全部好き!と云っても過言ではないのですが(笑)、やはりお茶好きとしてはここを挙げておくべきでしょう。ハナさんが出してくれるお茶について。以下は引用。

ヨモギのお茶は野原の味が、
ノギクのお茶は夕暮れの味が、
カキのお茶は日なたの味が、
サクラのお茶は森の味がしました。

春の若葉が風にさやさや、
どこにひっかかっていたのか、
終ったはずの桜の花びらも
くるくるくるくる舞ってきます。

うう、飲んでみた〜い。生クリームとジャム、ピーナツバターをはさんだお茶菓子も美味しそうでした。 でもこればかりはそうそう食べられるもんでもなさそうだしな…。笹酒も飲んでみたいぞって、 いつも食べ物や飲み物に目が行くなぁ、自分(笑)。

つばきちゃんは可愛らしいし、ハナさんも素敵なんですが、印象に残るのはつばきちゃんのお母さんです。お母さんの存在がこの物語によりいっそうの深みと奥行きを出していると思います。
現役少女にも元少女にも楽しんでもらえる、ひだまりにいるような幸せな気持ちにさせてくれる1冊。

(2003/05/04)


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